他者と交流するほどに、個性が平凡化する危険性もある
ガラパゴス諸島という地域がある。
近年ではフューチャーホンのことをガラケー(ガラパゴス携帯)というが、その語源となっているエクアドルの島々だ。
大小多くの島と岩礁からなる諸島で、名前がついている島だけでも123の島があります。どの大陸にも接した歴史が無く、天敵になるような大型の哺乳類も存在しないため、この島々は、他では見る事の出来ない固有の動植物の宝庫となっています。独自の進化を遂げた小動物の楽園です。ある。
そう、どの大陸とも接したことがない、鎖国した状態で、独自の進化を遂げた島なのだ。
新しいアイディアを生み出すためには様々な人や物事と出あい、感性を磨くべきだ、なんて言説はよくあるが、このガラパゴス諸島のことを見てみると、独自の進化を遂げるならば、無駄に他と交流必要はむしろ皆無であるということ。
むしろ他と交流してしまえば、ほかの大陸のように、よく見られる生物(弱肉強食の世界と、変化に対応しうる種)が生き残り、どこもかしこも同じような生態系になる可能性がある。
面白さを追求するならば、個の進化を最優先するべきかもしれない。
私が面白いと思うものは、他社に影響されず独自の良さを存分に引き出している人、チェーン店などではなく個人店、見慣れた風景ではなくその土地ならではなの特徴を生かした街、モノなどなど、個性が活きたものばかりだ。
確かに他者との交流は刺激になるし新しい発見もあったりする。
しかしそれ以上に「これが常識」「こういう風にするのが当たり前」なんて抑止がかかって良い意味でも悪い意味でももともとの個性がつぶされてしまう危険性がある。
さらに他との交流によって、自分と他を比べてしまい、不必要に落ち込んでしまったりふさぎ込んでしまって、個性に抑止力をかける可能性もある。
世界と関わり、他者と切磋琢磨しながら生きるという方法もあれば、いかに他者に影響されず個性を伸ばして、自分のテリトリー(ガラパゴス)の中で生きていくかという方法もある。これはたぶんどちらが良い悪いではなく、どちらが自分に合っているかの問題だ。
さらに大げさ化もしれないがイギリスがEUを離脱し、アメリカの大統領がトランプになった今、いかに自分の暮らす生活圏の中で心地よく個性を伸ばし生き抜くかということが求められつつあるように思う。
もう無理に他者と出会おう、交流しようなんて思わず、自分の心の赴くまま生きていくべきなのではないだろうか。
※この文章は2017年2月に書いた文章を加筆修正したものです。