2022-01-16

制限されることと、余白が失われていくこと

Photo by Riho Nakamori

素敵な空間で、美味しい料理を、好きな人と楽しむ。

これって当たり前のようでいて、本当に数々の条件をクリアしないと実現できないことなのだなと最近強く実感する。

足枷になっている一つは、もちろんコロナ禍。

毎食自炊ご飯では、新たな発見や刺激がなくて心が枯れてしまう。だから週末はどこかに外食したいと思って出かけるのだけれど、混雑していなくて、席間も適度に空いていて、客層も落ち着いていて、料理も美味しくて、自宅からも遠くなくて、価格帯も良心的で、並ばず入れるというような店はなかなかない。ワクチンは2回打っているけれども、感染力の強いオミクロンへの対策として、ソーシャルディスタンスはそれなりに確保したいと思ってしまう。

そして今もう一つ足枷になっているのが、パートナーが大腸の手術をした後で食べられるものが制限されていること。野菜や乳製品、脂っぽいものがNGなのだ。そうなってくると食べられるもの、行けるお店が本当に少なくなってしまう。

パートナーの食事制限が解除される1〜2週間我慢すればいいだけの話と言われればそれまでなのだけれど、友人などとも会わないようにしているいま、食べることくらいしか楽しみがなく(他に楽しみないの?!というツッコミもありそうですが)ある意味外食は生命線なのだ。

今日も行きたいと思っていた洋食屋さんに行ってみると、長蛇の列ができていて断念。結局食べられるものがあるファミレスに行ったのだけれど、私が子供の頃よりも(場所柄の問題なのか)テーブルが本当に狭くて「これではハンバーグとライス置けないのでは?」というレベル。隣の席との距離もとても近く、落ち着いて食事を楽しめる雰囲気ではなかった。オムライスの味自体は美味しかったと思うのだが、一刻も早くここから離れたいという気持ちが先行してしまい、心がカスカスになりながらオムライスを食べた。

飲食店は回転率を上げて売上を上げないと、生き抜けないというのはあるからしょうがないことだ。

ファミレスなんてリーズナブルに一定以上の美味しいものを食べさせてくれるのだし、それだけでありがたいのかもしれない。

けれど、制限される今の状況にあって、唯一の光である外食にかける思いが今まで以上に高まってしまっていて、一回一回の食事を“外せない”というような思いになってしまっている。

ある程度お金を払う必要があるのは前提として、並ばずに(予約できるならいつも予約している)ゆったり、美味しく、楽しく、安心して食事ができる安全地帯的飲食店をリストアップすることが急務のようだ。

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飲食店の話とは別に、最近の東京はどんどんお金を払わないと滞在できない街になってきているように感じる。街にはベンチも、人が集える広場も一切ないし、公園は混雑している。飲食店の席間はどんどん狭くなるし、立ち飲み酒場は増加、最近では酒場だけでなくスタンディングのカレー屋が登場するほか、狭いミレニアル向けホテルも続々登場するなど、回転率、効率、粗利獲得を追求したデザインが幅を利かせている。隙間があれば店舗を出店し、儲けようとする。余白がなくて息が詰まる時がある。

東京で暮らすことを選んでいる自分の問題なのかもしれないけれど、ゆとりとか余白とか、もうこれ以上東京から無くなってほしくないと思ってしまう。

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